何と言おうと、写真の本質が記録性にあるということは確かです。それは、写真は写真に撮られなかった
ら永遠に見ることのできないものを時空を越えて私たちに見せてくれるからです。記録はいつも何かに対する
記録です。私たちは写真を通じて、写真家がそこで何を見たのか、だけではなく、何を考えたのかを知ること
ができます。ある写真は、私たちに感動を与えたり、怒りや悲しみを感じさせます。また、ある写真は私たち
の世界に対する考え方や社会的なシステムを決定的に変革させることもあります。写真はこのように、現実を
直視し、行動を引き起させる力をもっているのです。
最近のテクノロジーのめざましい発達は映像を記録する方法は勿論、記録されたイメージの流通方式をも
すっかり変えてしまいました。写真による表現の様態や水準も、より一層多様さを増しています。いまや、誰
も簡単に写真を撮り、あらゆる種類の写真が日常生活に大量に氾濫しているため、写真の真実に対する立証能
力は信頼に値ない、と言う人さえいます。
私たちは写真に写されている現実を見ます。しかし、私たちは、同じものを撮った10人の写真家の写真
から、同じものを’見る’とは限りません。そこにある現実は、現実そのものとしてしか存在できませんが、私
たちが、その写真から受けるものは写真、それ自体が生産するものです。言い換えれば、ある写真から現実以
上のものを感じたなら、それはおそらく、そこに写されている対象のためではなく、それを撮った写真家の世
界観やそれを表現する力のためでしょう。
媒体環境がどう変ろうと、私たちと世界をつなぐ最も確かな経路は如前と’見る’ことです。そして、写真
が真実をみせてくれる最も有効な媒休であることは疑いを狭む余地もありません。ここ宮崎に、日本と韓国の
秀れた4人のドキュメンタリー写真家たちが集まりました。国籍もフィールドも、用いる言葉こそ違っていま
すが、彼らは自分の立ち会った世界をそれぞれのやり方で撮ってきました。ドキュメンタリー写真の本質にか
けられた問いに対する彼らの答えです。写真の真実性は、いまや単なる神話になってしまったのでしょうか。
今度は、私たちの眼の前にある写真から、皆さまがその答えを出す番です
。