2011年3月11日、私は外の徒事から職場に帰った。普段は点いていないテレビが点けられ、職員が食い入るように見て
いた。「何かあったと」と聞くと、職員が「東北の方で大変なことが…」と。画面を見ると、津波が家を押し流している映像
が。私はとっさに、1995年1月17日朝6時節に起床し点けたテレビから流れてきた〈阪神淡路大震災〉の映像を思い起こし、
これからのことが顔をよぎりました。
今年の1月には、第12回ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎のために宮崎県立美術館県民ギャラリー2を申
し込んでいたことから、今年度のテーマを何にするか考えていた私は、それまで考えていたテーマがすべて消えてしま
い、どうしたらよいのか考えました。
周りの方に意見を開く中、1月に開催した第11回ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎の石内部氏の写寛厳で
お金いしたライターのタカザワタカシ氏から、震災翌日には写真撮影を始められ、6月には写真集『THE DAYS AFTER一束日本犬震災の記憶−』を出版された石川梵氏と、いわき市在住で震災の白からその現状を撮影されている
最中に自分自身も津波にのまれ、助けられ、その後、フリーフォトジャーナリストになられ、『東日本大震災2011.3.11
AREA IWAKICITY』を出版された高橋智裕氏を教えていただき、今回の写真展を開催させていただくことになりま
した。
お二人の写真には、それぞれの思いが込められていますが、石川氏の写真集を東京で最初に手にした時には、何とも
言えない思いが心を覆い、すぐには購入できませんでした。また、高橋氏の写真集を手にした時は、震災のその場にいた
人の思いに、ただページを捲るだけでしたが、後半の子供たちの表情に何か安らぎを感じました。
今回の写真展は、日向灘を目の前にする私たち宮崎の人にも起こりうる地震災害を経験した束北の姿を写したこれ
らの作品を通して、感じ、考えていただくために、開催するものです。
2011年11月29日
「ドキュメンタリー フォトフェスティバル宮崎」実行委員会
事務局長 永友啓一郎