昨年3月11日、「東日本大震災」が襲った。思いもよらなかった災害に、2万人近い人が亡くなり、まだ、行方のわからな
い方々もいる。今も、多くの人達の悲しみは続いており、避難生活を送る人々の苦悩は終わる気配もない。
そのうえに、地震と津波により大きく破壊された、安全神話に包まれていた原子力発電所のひとつ『福島第一原子力
発電所』に関する問題は、迷路の中に置き去りにされ、私たちに、これからが見える状況にあるとは思えない。
地震と津波の造り出した光景に唖然としていた私は、伝えられる情報に驚愕し、起きてしまった現実に怒りを感じた。
多くの人達が、地震と津波による問題とは別に、住む場所を奪われ、生活を壊された。
チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村JOC臨界事故と、その都度、「日本の原子力発電所は大丈夫です。」と、国も、
電力会社も、知識人も言っていた。
今回の事故の後に言われた言葉は「想定外」であった。
だが、それもただ単に、多くの人間が考えを巡らさず、考えなかった現実であることが、一年もたたずに多くの学者や
研究者によって実証され、明らかにされてきた。
40年も前から原発で働く作業員の被曝問題を通じて『原発』に取り組まれている樋口健二氏と、20年も前から核実験
場の取材を始められ『原発』に取り組まれている森住卓氏の写真を通して、これからを、地球で、日本で、そして、宮崎で
どのように暮らしていくべきかを考える機会にしたいと考えました。
2012年6月
「ドキュメンタリー フォトフェスティバル宮崎」実行委員会
事務局長 永友啓一郎